「運命の恋」を待っている私たち 『(500)日のサマー』 タナダユキさん ThePremiumView

僕の人生は音楽からはじまった

これまでに何度か書いているのだが、自分は音楽に夢中になる以前の記憶がほとんどまったくない。TVとマンガに夢中だったことは憶えている。だが、それ以外のことは何もかもぼんやりしている。小学校5年生のあるとき、クラスメイトの女の子たちがグループサウンズに夢中になっていることに気付いた。ブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」は知っていたが、いろいろなグループが登場していて、彼女たちの間に絶大な人気がある、などということはまったく知らなかった。ロックンロール。ミニ・スカート。ジェイムズ・ボンド。そんな時代だった。

1969年のある土曜日の午後、クラスの女の子たちのアイドルだったザ・タイガースというグループを見るために、フジテレビの『ビート・ポップス』、という番組を観た。司会は大橋巨泉。両隣りには音楽評論家の木崎義二と星加ルミ子。ダンスステップの指導は振付師の藤村俊二。大きなスタジオに大学生くらいの年齢の若者たちが集められ、洋楽ポップスのベスト30曲に合わせて踊るディスコティック・スタイルの公開番組。スタジオの中央、そしてホリゾントの近くには高いイントレが組まれていて、その上でミニのワンピースを着たハーフのゴーゴー・ダンサーたちが踊っていた。それは夢のような光景だった。お目当てはザ・タイガースだったはずなのだが、彼らだけでなく、ポップ・ミュージック、というものに捕獲されてしまった。そんな瞬間だった。

ザ・タイガースとの出会い

音楽に夢中になると、世界はすっかり一変した。同じクラスの北川和夫くん、という友人のお誕生会に遊びに行くと、彼のお姉さんがザ・タイガースのファンクラブに入っていることを知った。彼女の持っていたタイガースのシングル盤のコレクションはバンドのシンボルマークの付いたキャリング・ケースに納められていた。

『ヒューマン・ルネッサンス』、というアルバムを知ったのは、やはり同じクラスにいた従兄弟の家だった。ジャケットの内側の美しく幻想的なメンバーの写真を眺めながら、このレコードを繰り返し聴いていたら、ある日総ての曲を覚えていることに気付く。当時は、それこそ世界中でザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ』に影響を受けた音楽作品が作られていて、そのどれもが、それなりに聴き応えがあるのが素晴らしい。いかにあのアルバムが世界中の若者の想像力を刺激したか、という証明だが、その中で『ヒューマン・ルネッサンス』、という作品に出会った自分はラッキーだった。収録されている曲の大半は、すぎやまこういち・なかにし礼、村井邦彦・山上路夫、という二組のソングライター・チームによって書かれていた。そしてメンバーの自作曲が二曲。やがて自分が曲を作るようになったとき、このアルバムから受けた影響の大きさにあらためて気付いた。

2011年の3月の大きな出来事の後、このアルバムのラストに収められた「廃墟の鳩」、という歌を思い出して聴き、少なからぬ衝撃を受けた。

プロフィール

音楽家
小西康陽さん (こにし・やすはる)
1959年、札幌市生まれ。1985年に「ピチカート・ファイヴ」のメンバーとしてデビュー。2001年の同バンド解散後は、作詞・作曲・編曲、DJ、リミキサーとして活動。2011年春、PIZZICATO ONE の名義で初のソロ作品『11のとても悲しい歌』を発表した。2012年1月にはヨーロッパでもリリースされる予定。
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